オートバイの歴史

日本のオートバイ産業は世界で第一位です。
その飛び抜けた技術はいわゆる町工場的な ものから始まり、戦後の混乱期の後、急速に発展した ものです。

そもそも世界のオートバイ産業は19世紀末にドイツ人の ゴッドリープ・ダイムラーによって作られ(翌年特許を取得)、 これがオートバイの始祖とされています。

これの発展・改良に寄与、協力したのは主にイギリスとドイツです。 アメリカは国土の問題もあり、自動車には協力的でしたが、 オートバイの開発にはそうでもなかったようです。
その状況は半世紀続き、日本も戦後まではドイツから の輸入品を実用する状況が続きました。

日本にバイクが輸入されたのは明治末期が最初で、 これを模倣し日本で最初にガソリン・エンジン作り に成功したのは島津楢蔵氏であり、年代は明治41年 のことであるといいます。

それを二輪車につけて走らせたのが翌年のこと。 これが国産第一号であったといわれますが、設計は欧米 品そっくりで、4サイクル、単気筒、400ccで あり、吸入バルブは自動負圧式、点火装置は当然市販品 などなく、プラグもコイルも自作、ピストンリングも手製、せいぜい2~3馬力のものでした。 2サイクルではなく、4サイクルで驚かれた方も いるかもしれませんが、氏によれば、最初は2サイクル を試作したものの、動作が不確実でとても信頼できる ものではなかったことだそう。

明治43年になるとオートバイの輸入が盛んになり、 トライアンフやアメリカのインディアンの車両が 民間にもわたるようになってきました。 欧米でもそれほど大量に作れるような大工場はなく、 自転車屋並のものがほとんどでした。

当時、バイクは単に乗りこなすのも大変で、 なぜならすべて手製の舶来品であるために部品も 不完全、スペア部品やアフターフォローも万全ではなく、 壊れたら何ヶ月も放置、だから放り出してしまうことも しばしば。 当時はこれを乗りこなすだけでも名前が売れるほどで した。

国産オートバイの実用品の生産開始は第二次世界大戦 前昭和初期のことでした。 ただ当時は弱小の工場がたくさん出現した時期であり、 いろいろな種類のバイクが出現しました。

・ミヤタのアサヒ号
・宍戸兄弟のSSD号
・あいこく号
・陸王(ハーレーの国産化)
・キャブトン(みづほ自動車製作所)
・リツリン号(栗林部品店)
・くろがね号(日本内燃機会社)
・メグロ号(メグロ製作所)

いずれも昭和初期に集中していましたが、戦争の戦局 悪化にともない、資材もなくなって生産不能となり 中断せざるをえなくなりました。

またここから戦後の急速な復興に伴い、町工場から 力のある企業へと再編・吸収が進み、現在のメーカー へとつながっていったことは周知のとおりです。







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